富山・いのちの教育研究会

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「生きる」とはどういうことか、大人と子どもが一緒に考えるサイトです。

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研究会かわら版

新着情報    更新期日  平成29年4月14日


平成29年度 第1回研修会報告

平成29年度の第1回研修会の報告を掲載しました。
リンクをクリックしてご覧ください。
 第1回研修会報告


平成29年度 射水市内12小学校の指導事例

射水市内12小学校の指導事例を掲載しました。
リンクをクリックしてご覧ください。
 射水市立歌の森小学校の指導事例
 射水市立小杉小学校の指導事例
 射水市立下村小学校の指導事例
 射水市立太閤山小学校の指導事例
 射水市立東明小学校の指導事例
 射水市立放生津小学校の指導事例
 射水市立作道小学校の指導事例1
 射水市立作道小学校の指導事例2
 射水市立堀岡小学校の指導事例
 射水市立片口小学校の指導事例
 射水市立中太閤山小学校の指導事例
 射水市立大島小学校の指導事例
 射水市立塚原小学校の指導事例


平成28年度 射水市内14小学校の指導事例

射水市内14小学校の指導事例を掲載しました。
リンクをクリックしてご覧ください。
 射水市立歌の森小学校の指導事例
 射水市立金山小学校の指導事例
 射水市立下村小学校の指導事例
 射水市立太閤山小学校の指導事例
 射水市立東明小学校5年の指導事例
 射水市立東明小学校4年の指導事例
 射水市立放生津小学校の指導事例
 射水市立大門小学校の指導事例
 射水市立堀岡小学校の指導事例
 射水市立片口小学校の指導事例
 射水市立中太閤山小学校の指導事例
 射水市立大島小学校の指導事例
 射水市立塚原小学校の指導事例


平成28年度研修会のレポートです

平成28年度研修会のレポートを掲載します。
第1回研修会
(1)模擬授業提案者 藤田 あゆみ 教諭(作道小)
   「みんなちがって みんないい」
(2)いのちの話提案者 加藤 豊 先生 (西部教育事務所 生活指導主事)
    「教育相談の経験から思うこと」

第2回研修会講演 東京大学名誉教授 養老 孟司 
    子供たちに「いのち」の輝きを ー 生と死を見つめて ー    

第3回研修会(10:00~12:00)
(0)研修会全体報告
(1)実践研究発表者 中林 紀子 栄養教諭(小杉中)
   「食といのち」   
(2)いのちの話紹介者 棚田 都 図書館司書(堀岡小)
   「本をとおして「いのち」について伝える、考える」 




お知らせ   
☆会では、広く会員を募集しています。

興味・関心をお持ちの
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ご入会を歓迎します。


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by toyama-inochi | 2018-04-09 09:41
講演 「いのちと教育・・・人間と脳の進化から
富山短期大学教授  田淵 英一氏


先生は富山医科薬科大学大学院医学研究科を終了され、現在、富山短期大学大学食物栄養学科脳機能解析学を担当されている。標記のテーマで話された内容を講演の毛レジュメから抜粋して下記にまとめさせていただいた。

いのちの始まりである人類の歴史は40数億年前にさかのぼり、生命の誕生は遺伝子を持つ物体つまり微生物(ウィルス)に始まり、それがやがて脊椎動物共通の祖先である魚類の出現となる。そして1~2億年前には恐竜の時代が始まり、大陸の出来たことにより哺乳類が出現する。そして300年前に原始人が登場して人類の誕生となる。

脳の基本的特性としては動物特有のことであり、入力されたことを感覚として捉え、それを脳が制御して、そして運動として出力する。その伝達は神経が行う。植物の場合は光などの感覚はすぐ成長として反応する。

教育とは人から人へと受け継がれていく知的な財産である。人は教育により人間になれる。教育なくして人間にはなれない。

脳を持つ動物にも教育は存在する。そのわけは知識は脳で創られるからでありそれが生き抜くための力となる。

人間の文明文化は、火の発見、言語の発達、文字の発明、電機の発見、電気・輸送機・電子機器の発明を生み出す過程を辿ってきた。

学習の基本は3つのステップを持ち、知識 → 理解 →応用 の段階をとり、各段階では脳が記憶、意味づけ、実践につながる作用をする。

教育でなすべきことは「凡庸な教師はただ喋る。良い教師は説明をする。優れた教師は自らやってみせる。そして偉大な教師は心に火をつける。」(by William Arthur Ward)

日本の教育現場がゆがんでいる原因はアメリカ主導の戦後の民主主義教育である。それは皆が同じことを考え同じことをした画一的教育であり、それは民主主義ではなく実質的に共産主義であった。その結果、゜自らが問題解決しない風習が形成され、反社会的思想が定着した。

現代の若者の長所は「よく考えている。優しい。安定志向である。」短所は「失敗を恐れている。れー経験が足りない。チャレンジ精神が足りない。」である。原因としては社会の複雑化(IT社会による情報過多)、経験不足などが起因している。

以上の先生の講演の概要から、人間のいのちのなりたちやいのちと脳の関係、いのちと教育の観点からいのちの尊厳を深く学ぶことが出来た。
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by toyama-inochi | 2012-01-21 22:13
-総合的学習  単元 「心をつなごう」 ボルタルジ(こんにちは)   「ブラジル発見」
  野村小学校 対象 4年生  指導 加藤 知穂 教諭

今回の本会定例会は野村小学校で行われた公開授業に参加させていただき年度末の研修に変えさせていただいた。
その内容について一参加者の立場でいのちの教育に参考となるいくつかの事柄を書き出してみたい。

同じ教室で学ぶブラジルの児童を通して子どもたちが珍しい異文化や立場の異なる友だちとの交流の中で多くのことを学び取れることを取り上げての指導の意義は大きいと感じた。

野村地区にはブラジル人が多くいるとのことで同校にも33人の児童が学んでいる。
先生の学級にいる児童(N児)も入学時から週に5時間、日本語を学び4年生からは全ての教科を学友と共に学ぶようになった。

お互いの国の様々なことを理解し、仲良く学びあう上で、同校はブラジルから研修生として来日中の現地の先生や国際交流員の先生や同校に勤務する外国人相談員の先生など細やかな支援を受けながら指導の効果を高めておられた。

研究主題を「表現する喜び、分かる楽しさを感じる授業のあり方」と設定して、児童たちが興味・関心を持った問題に対して主体的に調べたり試したりして体験的な活動を進める中で、自分の中にある新たな発見に気付かせ、教師はその変容した姿を児童の中に見て認めていることがわかった。

振り返りカードを書いて児童たちに発信したいことを書かせたり、それを発信する方法として「身に発表会やビデオで全校にみせたり、新聞で家庭に発信したりする学習の広がりが感じられた。

ブラジル料理、ポルトガル語、サッカー、サンバカーニバル、生活様式の違いなど興味ある問題別にチームで取り組むなどの工夫も見られた。今後の海外からのいろんな国からの子どもたちが日本で一緒に学ぶ際の貴重な題材を提供されていた。
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by toyama-inochi | 2012-01-20 23:40
中学校におけるいのちの授業の実践に関する発表
富山市立上滝中学校 吉田和央 教諭

同教諭は本会の定例会でおおよそ下記の内容で実践発表を行い、いのちの教育の方法としては非常に斬新な取り組み方を紹介していただいて、参加者に多くの示唆を与えた。

1年1組の生徒27名の教室で6月4日に「生と死」のテーマで道徳の公開授業を行った。
資料としては関西学院大学の藤井美和准教授が提示している「死の疑似体験授業」を取り入れた形で行った。本時のねらいを「生きるって何?」「死ぬって何?」ということを生徒に考えさせるとともに、「いのち」は自分が考えている以上に重いものであるということを気づかせ、今後の生き方に反映させていこうとする態度を育成しようとした。
 若い年代の生徒たちには自分の死期なんて遥か先のこととしかとらえず、「死」なんて自分には関係がないと思っている生徒たちに「死の疑似体験」をさせることによって、「焦燥感」や「絶望感」など今まで感じたこともない感覚を味あわせ、そのとき初めて見えてくる世界に触れさせる授業を展開した。

 授業の学習活動の展開として12枚(水色、黄色、黄緑、ピンクの各3枚ずつ)の紙が入った封筒をくばる。定例会参加者も受け取り、以下のそれを体験することとした。

そして「目に見える大切なもの(水色)」、「大切な活動(黄緑色)」、「目に見えない大切なもの(黄色)」、「大切な人(ピンク)」をそれぞれ書かせることにして6分間の時間を与える。生徒たちは色をえらびながらそれぞれ大切と思われることがらを書いていく。書かれる内容は、お金とか、部活とか、愛とか、父、母、とか予想されるような中身が書かれていく。

次に「死の疑似体験」をしてみようということで、先週の富山県の死亡者数を推測したり、架空の死にかかわるような日記から、死の当事者に遭遇しそうな状況を考えさせながら、あきらめていかねばならない大切なものを順序付けて消していくことに代えて破っていく。

最後に残したカードに何と書かれていたか、その1枚を破り捨てるときの気持ちはどうだったかを考えさせ、感想を書かせる。

生徒の感想には次の内容が紹介されていた。
・カードを破る時は嫌な気持ちになってきて、もうやめたいと思った。
・何も残らないなんて切なかった。死ぬのは怖いと思った。
・軽い気持ちで紙に書いたが、一つ一つ無くなっていくとなると、どちらにしようか迷う内に、遊び感覚では元々できず、泣き顔になった。最後の一枚になるとついつい大尉せつなものを無くするより私なんか死んでもいいと思った。今まで持っていたものが全てなくなることはとても怖いことだと思った。

参加者の一人として私も同様に、無くすることの悲しさや辛さをいつか体験する心理状況を予感した。しかしたかが紙切れではあるが、自分の手と判断力で破るという行為は、何か死に対して抗しきれない無力感が伴うという通常の状況と一致しないという、自身の辛さを感じたのは生徒も同じではなかったかと思う。

吉田先生は、この授業を通して生徒たちは、迫りくる死を目前にしたとき、何を諦め、誰に対して何を思うのか、最後まで大切に残すものは何なのかね最後に伝えたい言葉は何なのか、自分自身と向き合う部分が最大の見どころである、として、これらをこの授業の見どころと踏まえて実践されていた。

たま、先生は「家族愛」と題する3年生を対象として実践された道徳の授業も資料として用意され、紹介されていた。

自分の「いのち」や「人生」人生を大切にするということは、自分を取り巻く人々の「いのち」や「人生」を大切にするということを生徒に自覚させるという授業である。題材として、祖父母と一緒に生活する状況や両親が年老いた場合の同居の状況を想定して考えさせるという身近な例の授業の展開も併せて発表されていた。
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by toyama-inochi | 2012-01-19 22:54
挨拶 稲葉茂樹会長

  去る7月30日に本会の創立30周年の行事に当たってご協力をいただき感謝する。本日はご多用なところご出席いただきありがとう。
  本田先生にはご多用な中、本会の講師をお願いすることが出来たのは、先生をご紹介いただいた「生と死を考える会」の代表の豊原さんで、本田先生は今日まで精神科医としてまた、現在は「自死遺族死別の体験の分かち合い”風の道”(富山)」代表として、さらに富山県心の健康センターの嘱託として、活躍されている。
先生の活動の詳細はインターネットでもとり挙げてあり、その紹介資料をお手元にお渡ししてある。
  今回は自死の問題を取り上げさせていただいた。私自身の体験も過去にある。それは社会に出て間もない頃友人と宿泊した旅館で、夜に客の一人がどのような事情でか、薬物を飲んで、自殺を図った場に居合わせたとき、その患者は救急病院に搬送された場面に出会った。その翌日の新聞の死亡欄に目を通す気にはとてもなれない心境であったことを今も鮮明に覚えている。
  平成10年から13年間 全国 3万人を超えている。この問題はゆるがせに出来ない状況で慢性化させていってはならない。
  先生のお話をお聞きして本会での活動に資する上でも、しっかり静聴させていただきたい。

講演 「“風の道”の活動を通して」
講師  「自死遺族死別の体験の分かち合い”風の道”(富山)」
代表 本田 万知子 先生

  以下に、先生の講演の内容は、スクリーンで表示されたものであり、参加者にも資料として同様な内容の資料が配布された。次に抜粋して表示させていただくことで紹介に代えさせていただきます。

  遺族とは・・・家族のみならず、家族以外の親戚、友人、恋人、同僚なども含み、「自死した人と近い関係にあった人を意味する。そして自死遺族のグループとしては二つのグループが成り立つ。一つは「自助グループ」で自死遺族だけで構成されており、今ひとつは「サポートグループ」で自死遺族以外の人も加わって構成されていて、主に精神保健関係従事者などである。

  私が代表を務める上記の会は平成20年3月に成立した。スタッフは6名で、当事者3名、医師、看護師、臨床心理士のサポートグループである。立ち上げの経緯は、家族を自死で亡くし、富山県心の健康センターに通所していた遺族が、県外でのこの会の活動に関わり、地元でも開催したいと希望したことに始まる。また、相談来所からも他の遺族の話を聞きたいという希望もあり、自死遺族が事務局長に就任し、上記のスタッフでスタートした。

 毎月第3土曜日の1時から3時まで、富山市丸の内2丁目の桃井ビル3階に事務所を置いてカウンセリングはしないが電話相談に応じている。

  風の道の会の約束事は  1.秘密厳守で匿名での参加も可能。2.教えたり、諭したり、指導したりしない。参加者はあくまでも同等な関係、3.悲しみ比べをしない。4.話したくないなら話さなくてもいい。5.個人的な質問はしない。6.営業、布教、政治活動はしない。7.惻隠の情を持って場に居合わせましょう。の6項目としている。
  目標としては「参加する人の喪が少しでも穏やかになりますように」としている。

  遺族になると出てくる様々な反応や言動は、決して特殊なことでなく、「人間が特別な事態に遭遇した時に起こりうる自然な反応である。

  遺された人々の心理は・・・愕然、茫然自失、疑問、怒り、離人感、他罰、記憶の加工、否認、歪曲、自責、原因の追究、抑うつ、不安、周囲からの非難、二次的トラウマなどの
状態に陥りやすい。

  自死を身近に経験するということは・生活上の多様な問題(保健医療、心理、福祉、経済、法律)を総合的に抱える。・偏見や誤解を恐れ、人に話せないことから地域や社会からの孤立に至る。・周囲の人の言葉や態度に救われたり、傷つけられたりする。・人の最後のあり方や問題の解決に、自死が入る。などの状態になりやすいので周囲の細やかな気配りや警戒が必要である。

  子どもの場合はとくに影響が大きく出ることがあり、関係するサインに留意する。例えば、怒りっぽい、成績が落ちる、友達を避ける、危険な行動、一人でいる時間が増える。不眠、不安などの変化が見られたら配慮する、などである。

  子どもに対応する基本的なことは「子ども自身の感情を表現させてあげること」で、悲しい時には悲しんでいい。起こりたい時、困った時はその感情をこらえることなく浸らせることである。そして子どもの力を信じる。無理に元気付けようとしないで寄り添うようにすることが基本である。

  心理的な回復を図るには、・信頼できる人に話す。・同じ経験者の存在を知り、自分だけではないのだという気付きをさせる。・専門家による心のケアをする。

 自死遺族への対応のポイントは・悲しみはいつまで経っても癒されないことを知る。・遺族の気持ちや反応を理解した上で対応する。・判断を交えない態度に徹する。・相手の感情を否定せず、ゆったりと聞く。・遺族自らが望む手助けをする。・よりそう姿勢・自然体でいつもどおりに

  遺された人に必要な三つのTとして 「Time」時間 「Talk」会話 「Tear」」涙 がある。思い出すことは大切な供養である。
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by toyama-inochi | 2012-01-18 21:30

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挨拶 稲葉茂樹会長
去る7月30日に本会の創立30周年の行事に当たってご協力をいただき感謝する。本日はご多用なところご出席いただきありがとう。
本田先生にはご多用な中、本会の講師をお願いすることが出来たのは、先生をご紹介いただいた「生と死を考える会」の代表の豊原さんで、本田先生は今日まで精神科医としてまた、現在は「自死遺族死別の体験の分かち合い”風の道”(富山)」代表として、さらに富山県心の健康センターの嘱託として、活躍されている。
先生の活動の詳細はインターネットでもとり挙げてあり、その紹介資料をお手元にお渡ししてある。
今回は自死の問題を取り上げさせていただいた私自身の体験も過去にある。それは社会に出て間もない頃友人と宿泊した旅館で、夜に客の一人がどのような事情でか、薬物を飲んで、自殺を図った場に居合わせたとき、その患者は救急病院に搬送された場面に出会った。その翌日の新聞の死亡欄に目を通す気にはとてもなれない心境であったことを今も鮮明に覚えている。
平成10年から13年間 全国 3万人を超えている。この問題はゆるがせに出来ない状況で慢性化させていってはならない。
先生のお話をお聞きして本会での活動に資する上でも、しっかり静聴させていただきたい。

講演 「“風の道”の活動を通して」
講師 「自死遺族死別の体験の分かち合い”風の道”(富山)」
代表 本田 万知子 先生

以下に、先生の講演の内容を、スクリーンで表示され、参加者に資料として同様な内容の配布資料を抜粋して表示させていただくことで紹介いたします。

遺族とは・・・家族のみならず、家族以外の親戚、友人、恋人、同僚なども含み、「自死した人と近いかんけいにあった人を意味する。そして自死遺族のグループとしては二つのグループが成り立ち、一つは「自助グループ」で自死遺族だけで構成されており、今ひとつは「サポートグループ」で自死遺族以外の人も加わって構成されていて、主に精神保健関係従事者などである。
私が代表を務める上記の会は平成20年3月に成立した。スタッフは6名で、当事者3名、医師、看護師、臨床心理士のサポートグループである。立ち上げの経緯は、家族を自死で亡くし、富山県心の健康センターに通所していた遺族が、県外でのこの会の活動に関わり、地元でも開催したいと希望したことに始まる。また、相談来所からも他の遺族の話を聞きたいという希望もあり、自死遺族が事務局長に就任し、上記のスタッフでスタートした。
 毎月第3土曜日の1時から3時まで、富山市丸の内2丁目の桃井ビル3階に事務所を置いてカウンセリングはしないが電話相談に応じている。

風の道の会の約束事は  1.秘密厳守で匿名での参加も可能。2.教えたり、諭したり、指導したりしない。参加者はあくまでも同等な関係、3.悲しみ比べをしない。4.話したくないなら話さなくてもいい。5.個人的な質問はしない。6.営業、布教、政治活動はしない。7.惻隠の情を持って場に居合わせましょう。の6項目としている。
目標としては「参加する人の喪が少しでも穏やかになりますように」としている。

遺族になると出てくる様々な反応や言動は、決して特殊なことでなく、「人間が特別な事態に遭遇した時に起こりうる自然な反応である。

遺された人々の心理は・・・愕然、茫然自失、疑問、怒り、離人感、他罰、記憶の加工、否認、歪曲、自責、原因の追究、抑うつ、不安、周囲からの非難、二次的トラウマなどの
状態に陥りやすい。

自死を身近に経験するということは・生活上の多様な問題(保健医療、心理、福祉、経済、法律)を総合的に抱える。・偏見や誤解を恐れ、人に話せないことから地域や社会からの孤立に至る。・周囲の人の言葉や態度に救われたり、傷つけられたりする。・人の最後のあり方や問題の解決に、自死が入る。などの状態になりやすいので周囲の細やかな気配りや警戒が必要である。

子機どもの場合はとくに影響が大きく出ることがあり、関係するサインに留意する。例えば、怒りっぽい、成績が落ちる、友達を避ける、危険な行動、一人でいる時間が増える。不眠、不安などの変化が見られたら配慮する。

子どもに対応する基本的なことは「子ども自身の感情を表現させてあげること」で、悲しい時には悲しんでいい。起こりたい時、困った時はその感情をこらえることなく浸らせることである。そして子どもの力を信じる。無理に元気付けようとしないで寄り添うようにすることが基本である。

心理的な回復を図るには、・院耒で切る人に話す。・同じ経験者の存在を知り、自分だけではないのだという気付きをさせる。・専門家による心のケアをする。

 自死遺族への対応のポイントは・悲しみはいつまで経ってもいやされないことを知る。・遺族の気持ちや反応を理解した上で対応する。・判断を交えない態度に徹する。・相手の感情を否定せず、ゆったりと聞く。・遺族自らが望む手助けをする。・より総姿勢・自然体でいつもどおりに

遺された人に必要な三つのTとして 「Time」時間 「Talk」会話「Tear」」涙 がある。思い出すことは大切な供養である。
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by toyama-inochi | 2012-01-18 21:28

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挨拶 稲葉茂樹会長
去る7月30日に本会の創立30周年の行事に当たってご協力をいただき感謝する。本日はご多用なところご出席いただきありがとう。
本田先生にはご多用な中、本会の講師をお願いすることが出来たのは、先生をご紹介いただいた「生と死を考える会」の代表の豊原さんで、本田先生は今日まで精神科医としてまた、現在は「自死遺族死別の体験の分かち合い”風の道”(富山)」代表として、さらに富山県心の健康センターの嘱託として、活躍されている。
先生の活動の詳細はインターネットでもとり挙げてあり、その紹介資料をお手元にお渡ししてある。
今回は自死の問題を取り上げさせていただいた私自身の体験も過去にある。それは社会に出て間もない頃友人と宿泊した旅館で、夜に客の一人がどのような事情でか、薬物を飲んで、自殺を図った場に居合わせたとき、その患者は救急病院に搬送された場面に出会った。その翌日の新聞の死亡欄に目を通す気にはとてもなれない心境であったことを今も鮮明に覚えている。
平成10年から13年間 全国 3万人を超えている。この問題はゆるがせに出来ない状況で慢性化させていってはならない。
先生のお話をお聞きして本会での活動に資する上でも、しっかり静聴させていただきたい。

講演 「“風の道”の活動を通して」
講師 「自死遺族死別の体験の分かち合い”風の道”(富山)」
代表 本田 万知子 先生

以下に、先生の講演の内容を、スクリーンで表示され、参加者に資料として同様な内容の配布資料を抜粋して表示させていただくことで紹介いたします。

遺族とは・・・家族のみならず、家族以外の親戚、友人、恋人、同僚なども含み、「自死した人と近いかんけいにあった人を意味する。そして自死遺族のグループとしては二つのグループが成り立ち、一つは「自助グループ」で自死遺族だけで構成されており、今ひとつは「サポートグループ」で自死遺族以外の人も加わって構成されていて、主に精神保健関係従事者などである。
私が代表を務める上記の会は平成20年3月に成立した。スタッフは6名で、当事者3名、医師、看護師、臨床心理士のサポートグループである。立ち上げの経緯は、家族を自死で亡くし、富山県心の健康センターに通所していた遺族が、県外でのこの会の活動に関わり、地元でも開催したいと希望したことに始まる。また、相談来所からも他の遺族の話を聞きたいという希望もあり、自死遺族が事務局長に就任し、上記のスタッフでスタートした。
 毎月第3土曜日の1時から3時まで、富山市丸の内2丁目の桃井ビル3階に事務所を置いてカウンセリングはしないが電話相談に応じている。

風の道の会の約束事は  1.秘密厳守で匿名での参加も可能。2.教えたり、諭したり、指導したりしない。参加者はあくまでも同等な関係、3.悲しみ比べをしない。4.話したくないなら話さなくてもいい。5.個人的な質問はしない。6.営業、布教、政治活動はしない。7.惻隠の情を持って場に居合わせましょう。の6項目としている。
目標としては「参加する人の喪が少しでも穏やかになりますように」としている。

遺族になると出てくる様々な反応や言動は、決して特殊なことでなく、「人間が特別な事態に遭遇した時に起こりうる自然な反応である。

遺された人々の心理は・・・愕然、茫然自失、疑問、怒り、離人感、他罰、記憶の加工、否認、歪曲、自責、原因の追究、抑うつ、不安、周囲からの非難、二次的トラウマなどの
状態に陥りやすい。

自死を身近に経験するということは・生活上の多様な問題(保健医療、心理、福祉、経済、法律)を総合的に抱える。・偏見や誤解を恐れ、人に話せないことから地域や社会からの孤立に至る。・周囲の人の言葉や態度に救われたり、傷つけられたりする。・人の最後のあり方や問題の解決に、自死が入る。などの状態になりやすいので周囲の細やかな気配りや警戒が必要である。

子機どもの場合はとくに影響が大きく出ることがあり、関係するサインに留意する。例えば、怒りっぽい、成績が落ちる、友達を避ける、危険な行動、一人でいる時間が増える。不眠、不安などの変化が見られたら配慮する。

子どもに対応する基本的なことは「子ども自身の感情を表現させてあげること」で、悲しい時には悲しんでいい。起こりたい時、困った時はその感情をこらえることなく浸らせることである。そして子どもの力を信じる。無理に元気付けようとしないで寄り添うようにすることが基本である。

心理的な回復を図るには、・院耒で切る人に話す。・同じ経験者の存在を知り、自分だけではないのだという気付きをさせる。・専門家による心のケアをする。

 自死遺族への対応のポイントは・悲しみはいつまで経ってもいやされないことを知る。・遺族の気持ちや反応を理解した上で対応する。・判断を交えない態度に徹する。・相手の感情を否定せず、ゆったりと聞く。・遺族自らが望む手助けをする。・より総姿勢・自然体でいつもどおりに

遺された人に必要な三つのTとして 「Time」時間 「Talk」会話「Tear」」涙 がある。思い出すことは大切な供養である。
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by toyama-inochi | 2012-01-18 21:22
研究発表授業の講評と講演
文部科学省 教科書調査官 田村 学 先生 

研究授業に引き続いて、別教室にて、県内総合学科・生活科研究会員の多くの参加者を前にして、先ず授業を公開し終えての授業者(教諭 加藤 知恵 先生)の授業内容についての説明がなされた。
 田村先生の講演については、下記のような点で学ぶところが多かった。

・総合的な学習の時間の授業は総合の中で行うのではなく、各教科の中で総合の学習を行うのが好ましい。

・読売新聞の教育ルネッサンスで、文科省の田中孝一氏は、「総合的な学習の時間」は新指導要領では、週1時間だけ減るが、むしろいっそう重視する立場で捉え、習得、活用、探求という「生きる力」をつけるための中核になる。今後は探求を中心に据え、習得、活用は各学科で行う。NIEは、どちらでも行っていい、と述べている。

・講師は加藤先生の授業の中の児童の表情を録画したものをパソコンに入れてOHPで流し、児童の学びの真情を読み取りながら、解説するので分かりやすく説明を納得できる新鮮なスタイルであった。

・加藤先生は教職歴わずか3年だが、授業の組み立てや展開、積極姿勢を講師は高く評価されていた。

・スワヒリ語の学習テストの実例から分かったことは、言葉を覚えるということは学習で終わらないことである。「学習」は単に脳への入力である。「テスト」は脳からの出力である。つまり、脳の機能は「出力」を基準にして、そのパフォーマンスが変化するのである。平たく言えば、「いくら詰め込んでも無意味」であり、「使ったもの勝ち」ということであるという。

・日本は読解力が弱く、経済大国にふさわしくないとの評価がある。それは、PISA読解力テスト(記述式問題が約4割を占める。表やグラフ・地図など非連続テキストが約4割を占める。生徒の興味関心を重視している。実生活と関連の深い課題が多い。など)をこれまで軽視していたことに原因すると評されている。探求のプロセスは課題を見つけ、収集し、分析し、表現することである。

以上のほか、総合で身につけることのできる、大切なことをいろいろな具体的事例をスクリーンで挙げて説明され、参加者に多くの示唆と児童との学びに付いての感動を与えてように思う。
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by toyama-inochi | 2011-02-23 00:48

故長島先生に学ぶ

第49回定例会 富山・いのち教育研究会 

  演題 「死を見つめて生きる
講 師   北陸メンタルヘルス研究所長 草野 亮 氏

今日は長島先生の内観を話題にする。内観学会の会員である草の先生は、過日日本内観学会が富山であり、内観は自身を見つめ、死を見つめるというシンポジュームが開催され、奥様の長島会長がシンポジストとして貴重な発表をされた。
草野先生は生あるものは死を免れない。そして健康時はほとんど死ということを念頭においてないが、病気になると死を考える。年老いると死の近づくことを感じ、また周りの人が世を去るときに始めて死を感じる。」と。死とは何かと言えば、一休和尚は「死とは自然に還ることなれど、死と戦うは生きものの道」、この一休和尚は死にたくない、死にたくないと言って死んだ。私たちも同様である。一休和尚は死を達観しながら、だけど死にたくないと言う。
長島先生の病床日記から、普通はなかなか達観できないものだが、先生は達観しながら、やはり死にたくないというところを我々に重要な示唆としてを与えられる内容を感じた。テーマは「求められ答えられる内観を目指して」という、テーマで特別講演をされる予定であった。それが先生が亡くなられたということで現在、北陸内観研修所の所長奥さん(長島美稚子・臨床心理士)が、ご主人のお考えを発表された。

「死を見つめる内観」私(長島正博) は富山県に生まれ、父を幼少期に亡くし、母の手ひとつで育てていただいた。思春期に入り、内村鑑三の著書に感化され、なぜ生きるのかを考え、大学に進学したが、精神性を求め、禅宗の修行を積み、浄土真宗の道で求道生活を送ったのもそのためであった。
その後の内観研修所には当初、求道のために住み込んだ。内観者が年間1000人に達したので、求道を9年間続けていたが、しかも厳しい禅宗の修行の後であったのでできたのであろうが、内観の師である吉本氏は内観の最終目的はどんな逆境にあっても喜んで励むことができることであるとおっしゃっていたのに、しかし私は何度集中内観をしても罪悪感だけが残り、集中できなかった。24日間の断食内観もしたがそれ以上は意味がないと師に言われそこで断念した。
私は一社会人として生きていく人生を選び、郷里に戻り北陸内観研修所を開設した。以来25年の歳月が瞬く間に過ぎた。平成21年の8月末、すい臓がんの末期だと告知を受けた。そのおかげで眠りかけていた何かをたたき起こしていただき、感謝に耐えない。住民検診によって胃の再検査をし、そこで私は進行性すい臓がんのためすぐに入院するように告知を受けた。抗がん剤で延命措置をする。がんのステージは1から4のうちの最悪の4のステージでしかもAとBがあり、そのBだと言う。
すい臓がんはすでに肝臓と肺に転移、手術をしても助からないと言われ、すい臓がんは早期発見が非常に困難で進行が早いと言われ、がんの王様といわれる。その痛みは激しい。私の場合はすい尾部に腫瘍があるので2010年4月ごろまで痛みが続く。私はがんと戦うつもりはない。何とかこの状態で共生する道を探すために入院したのだからと考えた。
1ヶ月入院、9月5日、ストレッチとラジオ体操をする。そのあと階段を10階まで上り、地下2階まで降りて3階まで上る。こんなにまで元気なのだが、すぐ息切れして汗ばむ。告知を受けてから少しおなかが張ったようだ。少し痛いような感じがして本当に痛くなればどうしようかと不安になる。入院してからやはり気が病んできている。昨日の朝、117の血圧が胃カメラをやる前に図ったら158にもなり、看護婦さんはやはり緊張したからかなあと言う。平静を装っていても命はやはり正直だ。
入院生活の中で座禅内観を開始。テープを聴きながら師の経文を拝読する。食事療法もする。かつての断食と比べるとどうということはない。人生の最終局面においてはやはり経験してきたことがすべて生かされる。  あの世に行ったら二人の師に、自分のできることは精一杯やってきたと報告できる。やはり人というのは死をある程度予知できるものだと思った。
抗がん剤治療を続けながら私は体内にいるがん細胞様にお願いしたいことがある。まさにあなた様は私の中に眠っていた魂を目覚めさせてくださった大恩人です。私は決してあなた様をこの体から消滅させようというつもりは毛頭ありません。私にとっていま気がかりなのは満89歳の母のことです。母のおかげで求道生活をすることができました。まったく母の愛情の賜物であります。私はどうしても母のために死ぬわけにはいきません。母よりも一日でも長く生きて母を看取ってからにしたい。今日から抗がん剤によってあなた様を苦しめることになるかもしれない。それはわたし自身自分でも矛盾を感じるがそれが残された家族に私ができる唯一の未知なのです。どうか私の最後のわがままを受け入れてくださり、これ以上増殖なさいませぬよう伏してお願い申し上げる。
抗がん剤治療9月11日、主治医の回診があり相変わらず元気だと報告する。来週から始める抗がん剤治療が勝負だとつぶやく。私がこのように元気な日々を送らせていただいているのはひたすら余命を内観に打ち込んで長期での悲願に会うためである。ゆめゆめ間違っても邪心を起こすことなく、起こせば自業自得で自爆てき面である。抗がん剤を説明したものには次のように書かれていた。抗がん剤を受けられるあなたに、日常生活では意識で自分をいたわることが大切。我慢したり、がんに負けまいと元気なときのように働きがちですが、無理をせず、時には自分の感情や気持ちを周囲に伝え、気分転換を図ることである。抗がん剤治療によって不安などによる頭痛、意識の低下、精神的苦痛、意思決定の障害などがあげられる。心のケアが大切である。抗がん剤の副作用があれば病気や治療の方針を選択しなければならない。治療後は副作用のためつらい状態を来たすことがある。
9月17日、昨夜から夜半に起きたときには、内観をしようとするのだが、やたらと感傷的になる。ラジオ体操をしながら薬師岳を見ているだけでも涙があふれてくるのはどうしてだろうか。私の命が体の死をまた予知したのだろうか。次回の治療には相当な覚悟で望まなければならない。今週末、外泊で祖父母と過ごす最後の機会かもしれない。白血球の数値が3.4から1.8になり、抗がん剤を中止。
9月26日、長女の飛行機を見送る。師は、「わが子は命の延長」であるからとおっしゃったが、長女にしても次女にしても見ているだけでいとおしい。
9月28日に退院。退院後の日常生活記録。6時起床。朝食、7時50分、11時10分から、内観、ラジオ体操、腹筋50回、1時30分、内観面接、6時、今日無事に終わろうとしている。まことにありがとうございます。合唱礼拝、おやすみなさい。記録を書き終える。この日課は緩和ケアの日記の前日までほぼ書き記す。
抗がん剤治療の経過  
10月1日、受信日。CTの血液検査結果、病状は数値で進んでいるのだが体はどこが痛いとか痒いとかがなく、日常生活を営ませていただけるのはただただ感謝である。白血球の状況から私の場合は余命半年が確定したようなもので、やはりショックは隠せない。私個人としては恵まれた幸せな人生でした。ただ母より先に逝くことだけが気がかりである。遅かれ早かれまたあとでお会いできると信じている。これは亡くなった方に対して、内観したときにも実感しました。

(以下、中略・・・・・・・・ 病状の一進一退を繰り返す過程で長島先生は、その時々の心と体の状況を克明に冷静に受け止めながらも、懸命にいのちを意識して自己の信条を揺らぐ心の中でしっかりと捉えて一日一日を日記に残されている様子を語られていた。)


集中治療室4月21日、今日は気温が高いせいかだるい。体に無理をかけて体調を崩す。やはりあせっている。凡夫のおろかさ。生かされていることの感謝を持とう。
4月27日、朝食前の内観面接。朝食後集中治療室に入る。まな板の鯉の心境。家族は主治医から最後の入院になるだろうと言われる。看取りのための入院です。緩和ケアとは生命を持つ患者とその家族に対して人格的身体的痛みを正しく評価し、それが障害とならないように対処することで生活の質を改善するためのアプローチである。家族にできることは何でしょうか。この時期の患者さんの多くは不安や孤独感などの心の苦痛があり、主治医や看護士も悩みを聞いたり、質問を受けたりする。患者さんは家族の方々が何よりの便りで、私たちも精一杯お世話をいてあげる。
緩和病棟入院4月29日、中々眠れない。睡眠導入剤、病気がひどいので注射をして楽にする。次女が泊まってくれて次女との貴重な時間を持てた。検査結果を見て驚く。6.9といういままでになく高い数値だ。血小板も増えている。これを見ると私の免疫細胞は必死に生きようとしている。貧血もそんなに悪化していない。
5月2日、昨夜はみぞおちが痛み出した。痛み止めの注射を何本もし、漸く収まる。担当医は癌の痛みではないと言う。肝機能が落ちている。顔も全体に黄色味を帯びているでしょうと。私にとっては思ってもいないことで驚いてしまう。では今夜から気をつけよう。軽い運動をする。玄米湯が美味しい。
5月4日、長女がお父さんとお母さんの子供として生まれてきて幸せだったと言われる。思わず涙ぐんでします。ありがとう。
5月7日、(なくなる12日前) 散歩を349歩。
家族の看取り5月8日、妹が来てマッサージをしてくれる。気持ちがいい。きのうよりも元気。ストレッチ。葬式の打ち合わせをしている。
5月9日、皆が帰っていく。今日の内観者は5名。今日も無事に終わろうとしている。まことにありがとうございました。毎日の礼拝。
5月12日妹がマッサージをしてくれる。おかげで少しは楽になる。
5月13日、亡くなる8日前。夜半、うとうとして心地よい。モルヒネのため記録ができなくなった。
………………………………………………………………………………………………………………………………
次の記録からは身内のメモや会話からまとめたものである。正博は迫る講演のために録音しようとしていたが、病状のためできなくなった。代わりに師の吉本が語った「信心」というテープよりまとめるようにと告げてくれた。その中で、吉本についても会っていない人が多く、永久に出られないとか、内観に出られないことを悔いる。教える側に立つてうぬぼれや慢心を起こさないことだ。自心を押さえ込めば他心が育つ。日曜内観の重要性がそこにある。
眠り5月13日、回診後に正博は「不思議なものだ、いのちとは」念じると力が出る。ラベンダーの香りをいただいた。畑の中にいるようだ。食欲が出て玄米の重湯を口にしたくなった。食べていいかとたずねると少しだけといただく。

(以下、中略)

5月21日、前夜から呼吸困難になる。明け方危篤状態になる。内観者がいるため子供を先に病院に行かせる。今ついたよという姉さんの言葉に大きくうなづく。安らかな息を引き取る。
………………………………………………………………………………………………………………………………
金曜日、集中内観を休館。
土曜日、密葬
日曜日、内観者入所
一週間の内観予定ができていて、葬式のために内観研修が滞ることはなかった。
生前の生き様がそのまま臨終に反映する。生の延長線上に死がある。だから日常内観が大切なのだ。しかしそれは正博一代で達したのではなく、亡き父の後、先祖代々受け継いできた祖先の賜物である。一番の安らぎは最後を家族とともにすることで死の恐怖を去り、見取ることの大切さを学んだ。家族は内観研修を営みながら綱渡りの看護だった。家族の介護には病院へ介護に出かけ易いように、北陸内観研修所支えて下さった方々のおかげが大きい。生きとし生けるもののつながりを感じた。ご静聴ありがとうございました。

以上のビデオによる長島先生の生き方に触れて視聴したあと、草野先生を囲んで、参加者でいつも以上に長く、思い思いの感想を語り合って定例会を終えた。

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by toyama-inochi | 2011-02-05 23:35
生命の揺らぎ・・・ある地方人の死生観・・・

第48回定例会 富山・いのち教育研究会 概要


 1 日 時  平成22年11月27日(土) 13時30分~16時00分
 2 場 所  射水市小杉勤労青少年ホーム 2階 講習室A
 3 参加者  10名           

4 日 程  

   ( 1 ) 開会の挨拶と講師紹介(稲葉茂樹会長)      13時30分~13時45分

今年も後、一ヶ月余りとなりました。皆さん大変お忙しい中、ご出席いただきありがとうございます。
立野先生からご講話を戴く前に、今年度へ入ってからの当会の活動経過を簡単に振り返って見ます。
9月23日にはファミリーパークでいのちの塔の2周年記念イベントを開催しました。当会からは長井、太田、林の3氏が企画や準備、進行に協力いただいています。また、9月28日には高岡市立国吉小学校で金森俊朗氏の模範授業を参観し、氏の講演を聴きました。示唆されるところの多い内容ある研究授業と講演でした。また、県教育委員会のいのちのホームページについては、今年度もこの編集に森田氏、赤尾氏、石倉氏、杉高氏、大道氏の5人の方にご努力を戴いています。以上のご協力に感謝申し上げます。
さて、今日は立野先生にご多用のところおいでいただきました。先生のご経歴についてはお手元の資料にあるとおりです。昭和25年にお生まれになり、立命館大学、慶応大学をご卒業後、民間の会社に勤務されたあと、富山県立高校教員となられ、更に県教育委員会の生涯教育学習室、県民カレッジなどで要職をお勤めの後、県立高校の教頭、校長として、県立高校教育に貢献されています。最後は県の公安委員会など警察関係の要職をお勤めになっておられます。現在は県立図書館長として、また国際大学の講師としてご活躍中です。その他、職場関係の種々の委員会や文学関係のいろいろな機関の役職を担うなど幅広く社会に貢献されています。
著書としては資料に記されている様々なものがあります。私はその内の『齧りかけの林檎』の中に収められた10編の作品(花の首、樹下の骨、停車場、潤んだ目、シャクナゲ、黒い向日葵~祈り~、ウルビーノ・風の声、老樹、滅鬼の桜、齧りかけの林檎)を読ませていただき感動しました。そして、私たちの関心事である「死を見つめて生をどのように生きていくか」ということについて貴重なヒントをいただきました。資料では先生は「趣味」の中に文芸創作と書いておられますが、文芸創作については先生の場合、趣味の域をはるかに超えておいでになります。先生は作品の中で、自分の使命は何であろうかと悩んでおられる様子を描いておられますが、先生ご自身は使命をすでに自覚なさっておられる様子が窺われます。同時に、生きる意味を問い続けるその姿勢は私どもの範とすべき姿勢でもあります。先生は作品以外にも、少林寺拳法など数々の武道に精進し、奥義を究めてこられましたが、そこにも「如何に生きるべきか」を求め続ける姿勢が感じられます。このような様々なご体験から奥深い貴重なご示唆をいただけるものと喜んでいます。このように素晴らしい先生に本会の講演をご依頼くださった水上先生にも感謝申し上げて紹介の言葉に代えます。

   ( 2 )  講 演 概 要                    13時50分~15時20分
 演 題 「生命の揺らぎ~ある地方人の死生観~」
         講 師  富山県立図書館長 立野 幸雄 氏
 今程はご丁寧な紹介をいただき痛み入ります。皆さんの中には高校同級の安井先生や他、既知の方、また尊敬申し上げる水上先生もいらっしゃる。最近は越中文学について北日本新聞などで「越中文学の情景」など書いている。それにつれて越中文学に関心が高まり各方面から執筆や講演の依頼がいま相次いでいる。
今年度は退職の年で、穏やかな気分で職場を去りたいと考えていたが、今までの私の人生の中でこんなに忙しいのは初めてと思う。月に2,3回の講演を引き受け、国際学院大学では教職関係の講義を担当し、とにかく目が回りそうである。
・今日はこの会でのテーマであるいのちということに私自身非常に敏感に受け止めているので文学から少し離れて私自身の生き方からいのちについて話したい。
・私は図書館に勤務してから特に地域文学に関わるようになった。それは好きだからと言うよりも現役時代最後の図書館勤務が自分の使命感にふさわしい仕事として取り組んだことから始まった。
・図書館には地域関係のものが書庫に多くあり、好きなものもそうでないものもここ3年間、多く読んだ。
・私の専門は中世の説話文学であるが、今日の話しでは、なぜ本を読んだり書いたりする衝動に駆られるかを考えてみたい。そのことで文学とは何かについて触れることにもなると思う。追い立てられるような過ごしかたをした若い時と違い、年老いてからの読書は、何かそこに死に裏付けられた生を感じて引き込まれていくと感じられることが多いように思う。
・私は年を重ねるごとに、老いることの大切さを考えるようになってきた。私はなぜか何人もの若い人の死に出会って、彼らはその時点の苦しみや悩みを、いつまでも続くと捉えたり、諦観して抵抗することなく受け止めて、諦めて挫折したり、様々である。どうにもならないという思い込みに陥っている。
・人生は川の流れに譬えられている。その川はいつまでも同じ流れではない。若い時は本流の中で無我夢中で、容易に正しく自分を見定められないが、年を重ねると、その流れも下流に至って穏やかになり、来し方を振り返り、深く見つめて考えることができる。周りを眺めながら楽しむこともできる。
・今の若い人たちには、年老いることは楽しみに多く出会える機会なのだと、老いることの積極的な意義を教える必要がある。生き続けることが楽しく意味深いことであると大人の姿で示すことである。青春も素晴らしいがその後に来る老いも素晴らしさがあると気付かせたい。
・人は青春を余りにも褒めちぎって持ち上げるから、そのあとは何か暗黒のものが来るという感じを持っているが年老いることがもっと素晴らしいと強く言わねばと思う。
・私は若い人の死に目によく会ってきた。病気、自殺、事故死などで、以前には自殺や不慮の事故死者がいた。不思議なことで自分に何か死を寄せ付ける不吉なものの存在さえ感じさせた。
・私は校長としての挨拶の始めに、皆に「今愉快かい?」とよく聞く。今辛いかもしれないけど、生きること、年老いることは楽しいのだと生徒たちにいう。若い人たちには生きている自体が素晴らしいと大人が教えてやることだ。
・父は発電所関係の仕事で、転勤が多かった。小3のとき、八尾近くに住んでいた頃のことを資料の初めに書いた。池に誘われるような幻覚に導かれて池に入り溺死寸前になったことがある。幸い、近くを通りかかった中学生に助けられた。そのとき臨死体験をした。その体験は肉親や知人から何度も聞かわれ、その後の私の生き方、考え方に影響している。死と生の繰り返し、これはその後の何度かの偶然の繰り返しで死の必然性への知覚を深めることとなった。
・これらの体験を重ねるうち、「助けられて死ななかったのは自分にはこの後、何かをなさねばならぬ使命があるからだ。その使命を果たさねば生かされてきた甲斐がない」と感じるようになった。これまで、会社、教員、生涯学習、校長とその時々で一生懸命やってきたが、これで良いのかと、本当の仕事は何かと迷った。図書館長はそれまで1年の現職を残しての就任が多かったが、私の場合は3年の現職を残しての異動だった。これはふるさと文学館の構想づくりなども関わっていたこと、あるいは県高校文化連盟の役員をしていたことや富山の文学百選に携わっていたこともあるようだ。その時点で自分の仕事に自分に与えられた人生の使命感をこれまでになく強く感じた。
・繰り返せば、幼い頃から死が体のどこかに付着していた。子ども特有の残虐さからか昆虫や虫を捕まえて友達と殺し方を楽しんだ。しかし何時しか反省めいたものを心に宿していた。しかし今の子どもは死を頭でしか理解できない。幼少から大人に至るまで今の子どもは死をアニメ的にではなく、何かの形で悲しく、辛いものであることを実感する必要があると思う。
・私は幼少の頃、洗顔時に口から血を出し、結核と診断された。結核の母の影響もあったと思う。レントゲン検査のあるたびに残されるので嫌な思いをした。
・小学4年のとき黄疸を患い、5ヶ月ほど入院した。昏睡状態も続いた。自分は死ぬのかと思い続けた。死への一種の親しみのようなものを覚えると同時に死への不安、恐怖を覚え、夕方になると怖くなり、ナイフを持っていたりした。ある日病院内の廊下で見かけた同じ年頃の患者がその翌日に亡くなってショックを受けたという経験もあった。
・母が借りてくる貸本屋の本の殆どを読みつくした。読むことに興味を持ったことが不幸中の幸いで、それ以来、本から離れられなくなった。
・中学校へ入った後も、死が怖かった。体育の時間も見学することが多かった。中学時代、「次郎物語」を読み、「白鳥蘆花に入る」の言葉の意味を考えたりした。
・大学時代では死への不安を拭うために武道や登山に打ち込み、自分を精神的に鍛えようとした。
・就職、結婚、親族の死やその死への怖れなどを経験していく中で、生への不信を拭いきれないまま、宗徒としての信仰は持てないながらも自分を超えた大きな存在への加護を求めるようになっていった。
・定年を控えた今、これまで生かされてきたことの大きな意味を感じるようになっており、それを使命として今後の人生を生きたいという願いが真摯なものになりつつある。
・なお、木崎さと子の『青桐』、井村和清の『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』の作品に込められた、いのち観について言及、死に行く者の心に生まれる浄化の働き、看取る者の心に湧く大いなるものへの尊崇の念の働きなどについて指摘あり。

( 3 ) 研究協議                      15時20分~15時50分
・会員が経験した臨死体験や肉親の死の看取りで感じたこと、あるいはガンの手術後に抱いた人生観の変化、さらには近年の児童の死生観について意見発表と講師の助言あり。
( 4 )  諸連絡                       15時50分~16時00分

以上
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by toyama-inochi | 2010-12-15 23:38