富山・いのちの教育研究会

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黒澤景壽先生 『「いのちと死」あれこれ思うこと』(平成15年度総会)

講演概要

・いのちの教育研究会の使命と課題は未踏の山の登山路を拓くのに似ている。

・未知の教育に取り組むことに、教師は抵抗感があると思う。
 そこでまず、教師論とカリキュラム論の二つについて教育論を考えてみたい

・いのちの教育における教師論としては、
 子どもと共に創り出す姿勢が求められねばならない。
 そして、創り出す過程において拡散を避けるため、
 論理性の保持に努めることがまず肝要であり、
 その上で独善に陥らぬよう妥当性が広く肯定されるような客観性(バランス)
 に配慮すべきである。

・次に、カリキュラム論としては、
 いのちの教育全体についてのマクロの視点と部分についてのミクロの視点を常にもつこと、
 人間工学的な「硬」の手法よりも文化人類学的な「軟」の手法に重きをおくこと、
 演繹的なアプローチよりも帰納的な進め方の方が適していること、
 したがって、個々の子どもの反応をマンツーマン的に観察し、
 収集して得たデータを関係付け、構造化して論点を明確にする手法が効果的であること、
 以上の点に留意すべきである。 

・教育論の最後に、
 この研究においては成果もさることながら
 成果に至るプロセスが重要であることを指摘しておく。
 そのプロセスでは、最初からいきなり完璧を狙うのでなく、
 実践を段階的に進めて洗練の度を上げ、螺旋状に発展させていくことが望ましい。

・以上の教育論の根底には、死生観、人生観が横たわっている。
 現代は科学的理解に最高の価値が置かれている。
 しかし、科学が生命についてわかっていることは僅かである。
 大事なのは生命についてすべてわかることでなく、
 いのちについて常に考え続けることである。
 教師も子どもも、いのちと死に共に真摯に向き合い、師弟同行の道を歩むべきである。

・人間のいのちは、他の動植物の死によって支えられているが、
 そのような人間の存在を考えるとき、
 せめて他のいのちを尊び、守り、育もうという謙虚な気持ちになる。
 私はこれまでの人生の中で、自分自身が生命の危機に遭遇し、
 家族、先輩、友人、教え子との死別を経験してきた。
 先立った人たちを追憶し、死との出会い、いのちとの出会いの微妙なかかわりを考える。
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by toyama-inochi | 2007-05-28 09:03 | ~H24_講演の概要