富山・いのちの教育研究会

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道徳の実践授業 富山市立上滝中学校

中学校におけるいのちの授業の実践に関する発表
富山市立上滝中学校 吉田和央 教諭

同教諭は本会の定例会でおおよそ下記の内容で実践発表を行い、いのちの教育の方法としては非常に斬新な取り組み方を紹介していただいて、参加者に多くの示唆を与えた。

1年1組の生徒27名の教室で6月4日に「生と死」のテーマで道徳の公開授業を行った。
資料としては関西学院大学の藤井美和准教授が提示している「死の疑似体験授業」を取り入れた形で行った。本時のねらいを「生きるって何?」「死ぬって何?」ということを生徒に考えさせるとともに、「いのち」は自分が考えている以上に重いものであるということを気づかせ、今後の生き方に反映させていこうとする態度を育成しようとした。
 若い年代の生徒たちには自分の死期なんて遥か先のこととしかとらえず、「死」なんて自分には関係がないと思っている生徒たちに「死の疑似体験」をさせることによって、「焦燥感」や「絶望感」など今まで感じたこともない感覚を味あわせ、そのとき初めて見えてくる世界に触れさせる授業を展開した。

 授業の学習活動の展開として12枚(水色、黄色、黄緑、ピンクの各3枚ずつ)の紙が入った封筒をくばる。定例会参加者も受け取り、以下のそれを体験することとした。

そして「目に見える大切なもの(水色)」、「大切な活動(黄緑色)」、「目に見えない大切なもの(黄色)」、「大切な人(ピンク)」をそれぞれ書かせることにして6分間の時間を与える。生徒たちは色をえらびながらそれぞれ大切と思われることがらを書いていく。書かれる内容は、お金とか、部活とか、愛とか、父、母、とか予想されるような中身が書かれていく。

次に「死の疑似体験」をしてみようということで、先週の富山県の死亡者数を推測したり、架空の死にかかわるような日記から、死の当事者に遭遇しそうな状況を考えさせながら、あきらめていかねばならない大切なものを順序付けて消していくことに代えて破っていく。

最後に残したカードに何と書かれていたか、その1枚を破り捨てるときの気持ちはどうだったかを考えさせ、感想を書かせる。

生徒の感想には次の内容が紹介されていた。
・カードを破る時は嫌な気持ちになってきて、もうやめたいと思った。
・何も残らないなんて切なかった。死ぬのは怖いと思った。
・軽い気持ちで紙に書いたが、一つ一つ無くなっていくとなると、どちらにしようか迷う内に、遊び感覚では元々できず、泣き顔になった。最後の一枚になるとついつい大尉せつなものを無くするより私なんか死んでもいいと思った。今まで持っていたものが全てなくなることはとても怖いことだと思った。

参加者の一人として私も同様に、無くすることの悲しさや辛さをいつか体験する心理状況を予感した。しかしたかが紙切れではあるが、自分の手と判断力で破るという行為は、何か死に対して抗しきれない無力感が伴うという通常の状況と一致しないという、自身の辛さを感じたのは生徒も同じではなかったかと思う。

吉田先生は、この授業を通して生徒たちは、迫りくる死を目前にしたとき、何を諦め、誰に対して何を思うのか、最後まで大切に残すものは何なのかね最後に伝えたい言葉は何なのか、自分自身と向き合う部分が最大の見どころである、として、これらをこの授業の見どころと踏まえて実践されていた。

たま、先生は「家族愛」と題する3年生を対象として実践された道徳の授業も資料として用意され、紹介されていた。

自分の「いのち」や「人生」人生を大切にするということは、自分を取り巻く人々の「いのち」や「人生」を大切にするということを生徒に自覚させるという授業である。題材として、祖父母と一緒に生活する状況や両親が年老いた場合の同居の状況を想定して考えさせるという身近な例の授業の展開も併せて発表されていた。
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by toyama-inochi | 2012-01-19 22:54