富山・いのちの教育研究会

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故長島先生に学ぶ

第49回定例会 富山・いのち教育研究会 

  演題 「死を見つめて生きる
講 師   北陸メンタルヘルス研究所長 草野 亮 氏

今日は長島先生の内観を話題にする。内観学会の会員である草の先生は、過日日本内観学会が富山であり、内観は自身を見つめ、死を見つめるというシンポジュームが開催され、奥様の長島会長がシンポジストとして貴重な発表をされた。
草野先生は生あるものは死を免れない。そして健康時はほとんど死ということを念頭においてないが、病気になると死を考える。年老いると死の近づくことを感じ、また周りの人が世を去るときに始めて死を感じる。」と。死とは何かと言えば、一休和尚は「死とは自然に還ることなれど、死と戦うは生きものの道」、この一休和尚は死にたくない、死にたくないと言って死んだ。私たちも同様である。一休和尚は死を達観しながら、だけど死にたくないと言う。
長島先生の病床日記から、普通はなかなか達観できないものだが、先生は達観しながら、やはり死にたくないというところを我々に重要な示唆としてを与えられる内容を感じた。テーマは「求められ答えられる内観を目指して」という、テーマで特別講演をされる予定であった。それが先生が亡くなられたということで現在、北陸内観研修所の所長奥さん(長島美稚子・臨床心理士)が、ご主人のお考えを発表された。

「死を見つめる内観」私(長島正博) は富山県に生まれ、父を幼少期に亡くし、母の手ひとつで育てていただいた。思春期に入り、内村鑑三の著書に感化され、なぜ生きるのかを考え、大学に進学したが、精神性を求め、禅宗の修行を積み、浄土真宗の道で求道生活を送ったのもそのためであった。
その後の内観研修所には当初、求道のために住み込んだ。内観者が年間1000人に達したので、求道を9年間続けていたが、しかも厳しい禅宗の修行の後であったのでできたのであろうが、内観の師である吉本氏は内観の最終目的はどんな逆境にあっても喜んで励むことができることであるとおっしゃっていたのに、しかし私は何度集中内観をしても罪悪感だけが残り、集中できなかった。24日間の断食内観もしたがそれ以上は意味がないと師に言われそこで断念した。
私は一社会人として生きていく人生を選び、郷里に戻り北陸内観研修所を開設した。以来25年の歳月が瞬く間に過ぎた。平成21年の8月末、すい臓がんの末期だと告知を受けた。そのおかげで眠りかけていた何かをたたき起こしていただき、感謝に耐えない。住民検診によって胃の再検査をし、そこで私は進行性すい臓がんのためすぐに入院するように告知を受けた。抗がん剤で延命措置をする。がんのステージは1から4のうちの最悪の4のステージでしかもAとBがあり、そのBだと言う。
すい臓がんはすでに肝臓と肺に転移、手術をしても助からないと言われ、すい臓がんは早期発見が非常に困難で進行が早いと言われ、がんの王様といわれる。その痛みは激しい。私の場合はすい尾部に腫瘍があるので2010年4月ごろまで痛みが続く。私はがんと戦うつもりはない。何とかこの状態で共生する道を探すために入院したのだからと考えた。
1ヶ月入院、9月5日、ストレッチとラジオ体操をする。そのあと階段を10階まで上り、地下2階まで降りて3階まで上る。こんなにまで元気なのだが、すぐ息切れして汗ばむ。告知を受けてから少しおなかが張ったようだ。少し痛いような感じがして本当に痛くなればどうしようかと不安になる。入院してからやはり気が病んできている。昨日の朝、117の血圧が胃カメラをやる前に図ったら158にもなり、看護婦さんはやはり緊張したからかなあと言う。平静を装っていても命はやはり正直だ。
入院生活の中で座禅内観を開始。テープを聴きながら師の経文を拝読する。食事療法もする。かつての断食と比べるとどうということはない。人生の最終局面においてはやはり経験してきたことがすべて生かされる。  あの世に行ったら二人の師に、自分のできることは精一杯やってきたと報告できる。やはり人というのは死をある程度予知できるものだと思った。
抗がん剤治療を続けながら私は体内にいるがん細胞様にお願いしたいことがある。まさにあなた様は私の中に眠っていた魂を目覚めさせてくださった大恩人です。私は決してあなた様をこの体から消滅させようというつもりは毛頭ありません。私にとっていま気がかりなのは満89歳の母のことです。母のおかげで求道生活をすることができました。まったく母の愛情の賜物であります。私はどうしても母のために死ぬわけにはいきません。母よりも一日でも長く生きて母を看取ってからにしたい。今日から抗がん剤によってあなた様を苦しめることになるかもしれない。それはわたし自身自分でも矛盾を感じるがそれが残された家族に私ができる唯一の未知なのです。どうか私の最後のわがままを受け入れてくださり、これ以上増殖なさいませぬよう伏してお願い申し上げる。
抗がん剤治療9月11日、主治医の回診があり相変わらず元気だと報告する。来週から始める抗がん剤治療が勝負だとつぶやく。私がこのように元気な日々を送らせていただいているのはひたすら余命を内観に打ち込んで長期での悲願に会うためである。ゆめゆめ間違っても邪心を起こすことなく、起こせば自業自得で自爆てき面である。抗がん剤を説明したものには次のように書かれていた。抗がん剤を受けられるあなたに、日常生活では意識で自分をいたわることが大切。我慢したり、がんに負けまいと元気なときのように働きがちですが、無理をせず、時には自分の感情や気持ちを周囲に伝え、気分転換を図ることである。抗がん剤治療によって不安などによる頭痛、意識の低下、精神的苦痛、意思決定の障害などがあげられる。心のケアが大切である。抗がん剤の副作用があれば病気や治療の方針を選択しなければならない。治療後は副作用のためつらい状態を来たすことがある。
9月17日、昨夜から夜半に起きたときには、内観をしようとするのだが、やたらと感傷的になる。ラジオ体操をしながら薬師岳を見ているだけでも涙があふれてくるのはどうしてだろうか。私の命が体の死をまた予知したのだろうか。次回の治療には相当な覚悟で望まなければならない。今週末、外泊で祖父母と過ごす最後の機会かもしれない。白血球の数値が3.4から1.8になり、抗がん剤を中止。
9月26日、長女の飛行機を見送る。師は、「わが子は命の延長」であるからとおっしゃったが、長女にしても次女にしても見ているだけでいとおしい。
9月28日に退院。退院後の日常生活記録。6時起床。朝食、7時50分、11時10分から、内観、ラジオ体操、腹筋50回、1時30分、内観面接、6時、今日無事に終わろうとしている。まことにありがとうございます。合唱礼拝、おやすみなさい。記録を書き終える。この日課は緩和ケアの日記の前日までほぼ書き記す。
抗がん剤治療の経過  
10月1日、受信日。CTの血液検査結果、病状は数値で進んでいるのだが体はどこが痛いとか痒いとかがなく、日常生活を営ませていただけるのはただただ感謝である。白血球の状況から私の場合は余命半年が確定したようなもので、やはりショックは隠せない。私個人としては恵まれた幸せな人生でした。ただ母より先に逝くことだけが気がかりである。遅かれ早かれまたあとでお会いできると信じている。これは亡くなった方に対して、内観したときにも実感しました。

(以下、中略・・・・・・・・ 病状の一進一退を繰り返す過程で長島先生は、その時々の心と体の状況を克明に冷静に受け止めながらも、懸命にいのちを意識して自己の信条を揺らぐ心の中でしっかりと捉えて一日一日を日記に残されている様子を語られていた。)


集中治療室4月21日、今日は気温が高いせいかだるい。体に無理をかけて体調を崩す。やはりあせっている。凡夫のおろかさ。生かされていることの感謝を持とう。
4月27日、朝食前の内観面接。朝食後集中治療室に入る。まな板の鯉の心境。家族は主治医から最後の入院になるだろうと言われる。看取りのための入院です。緩和ケアとは生命を持つ患者とその家族に対して人格的身体的痛みを正しく評価し、それが障害とならないように対処することで生活の質を改善するためのアプローチである。家族にできることは何でしょうか。この時期の患者さんの多くは不安や孤独感などの心の苦痛があり、主治医や看護士も悩みを聞いたり、質問を受けたりする。患者さんは家族の方々が何よりの便りで、私たちも精一杯お世話をいてあげる。
緩和病棟入院4月29日、中々眠れない。睡眠導入剤、病気がひどいので注射をして楽にする。次女が泊まってくれて次女との貴重な時間を持てた。検査結果を見て驚く。6.9といういままでになく高い数値だ。血小板も増えている。これを見ると私の免疫細胞は必死に生きようとしている。貧血もそんなに悪化していない。
5月2日、昨夜はみぞおちが痛み出した。痛み止めの注射を何本もし、漸く収まる。担当医は癌の痛みではないと言う。肝機能が落ちている。顔も全体に黄色味を帯びているでしょうと。私にとっては思ってもいないことで驚いてしまう。では今夜から気をつけよう。軽い運動をする。玄米湯が美味しい。
5月4日、長女がお父さんとお母さんの子供として生まれてきて幸せだったと言われる。思わず涙ぐんでします。ありがとう。
5月7日、(なくなる12日前) 散歩を349歩。
家族の看取り5月8日、妹が来てマッサージをしてくれる。気持ちがいい。きのうよりも元気。ストレッチ。葬式の打ち合わせをしている。
5月9日、皆が帰っていく。今日の内観者は5名。今日も無事に終わろうとしている。まことにありがとうございました。毎日の礼拝。
5月12日妹がマッサージをしてくれる。おかげで少しは楽になる。
5月13日、亡くなる8日前。夜半、うとうとして心地よい。モルヒネのため記録ができなくなった。
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次の記録からは身内のメモや会話からまとめたものである。正博は迫る講演のために録音しようとしていたが、病状のためできなくなった。代わりに師の吉本が語った「信心」というテープよりまとめるようにと告げてくれた。その中で、吉本についても会っていない人が多く、永久に出られないとか、内観に出られないことを悔いる。教える側に立つてうぬぼれや慢心を起こさないことだ。自心を押さえ込めば他心が育つ。日曜内観の重要性がそこにある。
眠り5月13日、回診後に正博は「不思議なものだ、いのちとは」念じると力が出る。ラベンダーの香りをいただいた。畑の中にいるようだ。食欲が出て玄米の重湯を口にしたくなった。食べていいかとたずねると少しだけといただく。

(以下、中略)

5月21日、前夜から呼吸困難になる。明け方危篤状態になる。内観者がいるため子供を先に病院に行かせる。今ついたよという姉さんの言葉に大きくうなづく。安らかな息を引き取る。
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金曜日、集中内観を休館。
土曜日、密葬
日曜日、内観者入所
一週間の内観予定ができていて、葬式のために内観研修が滞ることはなかった。
生前の生き様がそのまま臨終に反映する。生の延長線上に死がある。だから日常内観が大切なのだ。しかしそれは正博一代で達したのではなく、亡き父の後、先祖代々受け継いできた祖先の賜物である。一番の安らぎは最後を家族とともにすることで死の恐怖を去り、見取ることの大切さを学んだ。家族は内観研修を営みながら綱渡りの看護だった。家族の介護には病院へ介護に出かけ易いように、北陸内観研修所支えて下さった方々のおかげが大きい。生きとし生けるもののつながりを感じた。ご静聴ありがとうございました。

以上のビデオによる長島先生の生き方に触れて視聴したあと、草野先生を囲んで、参加者でいつも以上に長く、思い思いの感想を語り合って定例会を終えた。

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by toyama-inochi | 2011-02-05 23:35