富山・いのちの教育研究会

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「いのち」のバトンタッチ

公開講演会 
   「いのち」のバトンタッチ

                  青木 新門 氏 ( 詩人・作家) 「納棺夫日記」著者

<<はじめに>>

  青木先生の「納棺夫日記」を題材に「おくりびと」が世界映画賞☆☆当研究会の第40回定例会で、いのちの塔建立記念講演会に「いのちのバトンタッチ」と題してご講演をいただき、誠に有り難うございました。また、先生のご著書「納棺夫日記」を原作とする映画「おくりびと」が3月22日に栄誉ある外国映画賞を受賞され、世界中に大きな感動を呼び、いのちを深く正しく見つめなおす好機となったことをたいへん心強く思います。そして改めて先生のご努力と人間の根源にあるいのちの洞察と崇高な姿勢に深く感銘いたしております。

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以下の内容は全て、世界映画賞のご受賞以前の昨年の平成21年11月8日時点で書かれています。
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第40回定例会 富山・いのちの教育研究会
 日 時  平成20年11月8日(土) 13時30分~
 場 所  射水市小杉勤労青少年ホーム  2階 講義室A
 
<<当日の講演会は下記のように感動に溢れた内容で進められました。>> 
(1) 開会の挨拶  
 (1) 開会の挨拶と講師紹介     
 第40回という節目の定例会を迎えました。今日は肌寒い日になったが、皆様のご参加を感謝します。
 先ずはこの度、私どものいのちの塔が実現したことについて、報告します。この塔の建立が提案されたのは一昨年の九月の定例会で、提案されたのは会員の小島先生で、先生は今年の3月に逝去されました。そのご遺志はしっかりと受け継がれ、多くの方々の力によって富山市のファミリーパークに今年の9月28日に竣工式をあげて完成しました。
 多方面からのご協力に感動いたしました。特に強い感動を受けたのは、奨学生から高校生にいたる子供たちの募金でした。いろんな形で受け取らせていただいたが、時には学校に出向いて、子供たちからのお金の入ったずっしりと重い募金箱を頂くたびに、子供たちの尊い、純粋な瞳を見るたびに大きな感動を受けた次第です。その陰で子供たちを指導してくださった先生方、PTAなどの方々にも深く感謝申し上げます。
 今日はそのいのちの塔の建立を記念するための講演会として設定させていただきました。いのちの塔は建てること自体にも意味があるが、さらにその意義を深めていくためには今後のいのちの教育のあり方が大きな課題となってきます。そのためにはいのちとは何かと言う根本的な問題をより深く見つめる必要があります。
 私達はこれまで生と死を含めたものとして捉えてきたが、どうしても観念だけが先走りして捉えにくいもどかしさを感じてきました。これについての示唆をいただくために青木先生に講演をこの度お願いすることに致しました。先生に講師としてお願いできたことを幸せに思い、感謝申し上げてご挨拶とします。
 


 
(2) 講師紹介内容
 講師の青木新門先生について、稲葉茂樹会長が下記のことについて紹介された。

・1937年に入善町にてお生まれ
・早稲田大学中退、富山市で飲食店を経営するかたわら、文学の道を志す。
・冠婚葬祭のオークスに入社、取締役を経て現在は非常勤の監査役
・体験の「納棺夫日記」がベストセラーになり、全国的に注目される。
・中央出版文化功労賞、北日本新聞文化功労賞などをご受賞
・納棺夫日記を元に「おくりびと」の映画化

 当会はこの度、いのちの塔建立の記念として誠にふさわしいお話が聞けるものと有難く思っている。青木先生が当会のささやかな催しにお出でくださったことに感謝してご紹介の言葉に代えさせていただく。

(3) 記念公開講演            
・講師 青木新門先生(「納棺夫日記」著書・・・文春文庫 )
・演題 『 いのちのバトンタッチ 

 公開講演の概要の紹介
この講演会は、とやま・いのちの塔竣工記念講演として、富山・いのちの教育研究会が特別にお願いをして、先生に快諾いただき実現することができた。
  昨年11月8日に講演を拝聴した後、今年に入り、先生の作品を題材にした映画「おくりびと」(9月に公開)が次第に注目を浴びるようになり、講演の約3ヵ月後の2月22日に、ロスアンゼルスにてその映画が晴れて、第81回米アカデミー賞外国語映画部門で栄誉ある受賞を果たした。
  この映画の原作と言える「納棺夫日記」も同時に世界的な反響を呼び、国内でも広く読まれていて、ここに改めてご紹介するまでもなく、衆知のところとなっている。
 
  先生の話は、幼少時代の辛苦にさらされた中国での苦難の経験から始まった。入善町に生れて5歳のときに両親と共に満州に渡り、両親と離れ離れになる中で、弟に続いて妹までも失い、言葉に言い尽くせない悲嘆の日々を過ごされた。
  8歳の時、日本に引揚げてきてから、50年近くも過ぎたあるとき、NHK主催で、元米軍取材員の戦時中の写真展があった。その中に先生の幼少時の終戦時に、中国で妹を背負って死体を焼却する場に立ち尽くし呆然とする少年の写真が、自身の体験そのままであったことに思わず言葉もなく慟哭された。その写真は長崎の8月9日の原爆投下のときのものをその写真家ジョー・オダネル氏が撮ったもので、偶然にも氏は一昨年の同じ日に亡くなられたと聞き、この上ない不可思議を感じる。
  先生は満州での当時のことを、夕焼けの中で強烈に思い起こされることがあり、栃木を旅して、三木露風の記念館で「夕焼け小焼けの赤とんぼ」に込められた想いに、自分が収容所で一人ぼっちでいた心境にダブル思いを語られた。
  日本に帰られる時は、幸いに母との再会を果たし、帰国できたが、生活は母とは別れて、また一人、収入のない祖父母に世話になる不安な日々を過ごすことになる。
  先生は厳しい境遇の中で、早稲田大学の政経学部に入学を果たされたが、折りしも安保闘争の激化する中で、授業もなく、単位の修得もままならなかつた。また富山の母から、入院との電報があり、母の経営の飲食店も経営が危ない状況を知った。
やむなく休学して富山に帰り母の店を手伝ううちに、意見の違いから自分の店を持つようになる。常連の客に作家や詩人や画家が集まるようになってくる。
やがて著名な作家の方々との作品の投稿などを通じての交流もあり、その道に没頭されるのだが、一方で店の経営で不当たりを出して倒産に追い込まれ、取立てから身を隠す生活で凌ぐ。夫婦と子どもの家庭の家計を維持しながら、作品を書き続けることに苦しい日々が続くことになる。
生活苦から夫婦仲も気まずくなり、職探しをするうちに、冠婚葬祭互助会の仕事に就くことになる。その仕事は納棺夫で、やがてそれが定着して行くまでの苦しい心の葛藤が繰り返される。
先生が、納棺夫としての様々な体験を重ねながら、工夫をし、自問自答をし、辞表を何度も用意しながら、また周囲の受け止め方から学び取り、信念を持って取り組むまでに自己を高めていかれる努力に計り知れないものを感じさせられる。
特に、学生時代の恋人の父の納棺のとき、また、自分の仕事を全面否定した祖父との別れの場面で、両者が自分に見せてくれた心に底知れぬ感動を覚え、自信を培うことになり、先生自身「人間って丸ごと認められることはすごいことだ」と痛感される。そして同じことをするのにも心を込めてやることがどんなに素晴らしいことかと実感され、実行に移されていく。
砺波の井村病院の井村先生との関わりとその著作、宮沢賢治の全てが輝いて見える世界、金子みすず、ゴッホの世界に触れていのちの素晴らしさを聞かせていただいた。
平成9年の酒鬼薔薇事件を防ぐ手立てはなかったのか、今日「臨終の場に会ったことのある子どもは少ない」というデータが遠因でないか。「目と目で交わす瞬間のバトンタッチ」それは現場でしかありえない。「先に行く人が有り難うと言えば、残る人が有り難うと答える。」これを真に伝え合えるのが以心伝心と同様に現場である。
先生はまた、親鸞の言葉から「先に生れる者は後を導き、後を生れるものは先を弔い」という言葉に感動され、今日のいのちの繋がりの欠けた個のいのちだけの時代を繋がりの強いものに変えていく必要を強調された。
終わりに、映画「おくりびと」の誕生の経緯について話をされた。映画の中でも送る人と送られる人が一緒に写っている場面でないといけないと繰り返し言われて、いのちのバトンタッチを強調された。

先生のご講演は、苦難に満ちた厳しい人生の中に、常に真実を求め、目標を見つめながら、進まれていることに参加者の一人として大きな感動を覚えた。
波乱に満ちたその道程を吐露されながらも、聞く人に明るさやユーモアに富んだ人生の機微を随所に紹介され、引き込まれるように傾聴させていただいき、本会にとって記念すべき講演会となった。
     (事務局 k.oota 記)
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by toyama-inochi | 2009-03-01 16:13

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